自転車シェアリング〜ホワイト・バイシクル編

自転車での交通事故の犠牲者を追悼するために、破損した自転車を真っ白に塗って事故現場に固定するゴースト・バイクについて以前の記事で紹介した。その取り組みを調べている時に、知人が1960年代のヒッピー・ムーブメントに白い自転車が登場することを教えてくれた。実はこの白い自転車の影響を受けて登場したのがゴースト・バイクであり、いずれもアーティステックな社会実践活動であった。

ヒッピーと言うと、麻薬でラリってラブ&ピースといった脳天気な印象が強い一方で、ベトナム戦争やキリスト教などの過酷な社会状況への抗議でもあった。そのようなカウンターカルチャー(抵抗文化)として最も成功したと言われるオランダのグループ、プロボ(Provo)は、1960年代半ばにオランダで活動を開始。アンチ喫煙、アナーキズム(無政府主義)、原水爆禁止などを求めて活動した。

プロボはアムステルダムの市議会で議席を獲得し、ホワイト・プランと総称される数々の提言を行っている。その中でも高く評価されたのが、ホワイト・バイシクル計画(White Bicycle Plan)。アムステルダムの交通事情を改善するために、市当局が毎年20,000台の自転車を購入し、市民が自由に使えるようにする。これはまさに世界最初の自転車シェアリング・システムの提唱であった。

実際にも、真っ白に塗られた50台の自転車が街頭に置かれた。だが、非施錠を禁じる法律に基づいて、警察は自転車を没収してしまう。そこで、プロボは自転車にコンビネーション・ロック(暗証番号で解錠する錠前)を付けて、その暗証番号を公開する。これにより、白い自転車は単なる放置自転車ではなく、システムとしての自転車シェアリングに昇華する。圧力が進化を促した好例とも言える。


White Bikes from NVA on Vimeo.

ちなみに、ラブ&ピースの大御所、ジョン・レノン(John Lennon)とヨーコ・オノ(Yoko Ono)による「ベッド・イン」(Bed-in for Peace)にも、プロボの白い自転車が登場する。1969年3月に結婚した彼らは、自らのハネムーンを平和活動として活用し、宿泊するアムステルダムのヒルトン・ホテル702号室に報道陣を招き入れた。白い自転車をベッドに置いたり、室内で乗ったりしたようだ。

from PROVOking the birth of bike sharing

また、Yes加入前のスティーブ・ハウ(Steve Howe)が在籍したことで知られるTomorrowが、ホワイト・バイシクル計画にちなんだ”My White Bicycle”という曲を制作している。ただ、警察が一瞬登場するものの、白い自転車に乗って楽しい爽快ご機嫌と繰り返しているに過ぎない。中堅ロック・バンドNazarethがカバーした同曲はプチ・ヒットしたそうだが、これまた脳天気なポップ・ソングだ。

プロボはさらにホワイト・ビクティム計画(White Victim Plan)も提唱している。これは、死亡事故を引き起こした加害者は、犠牲者の輪郭を道路に掘って白いモルタルで埋める義務を課すもの。ちょうど殺人現場で被害者の人型が白いチョークで取られるが、それをより強固に永続的に交通事故犠牲者に対して加害者が行うことになる。この計画が実行されると、道路が次第に人型で埋まっていくことになる。

これらのプランが、後の世代に影響を与えて誕生したのがゴースト・バイクだ。2002年にサンフランシスコ在住のアーティストJo Sholamが放置自転車を白く塗り、翌2003年にセントルイスで今日知られる最初のゴースト・バイクが実施されている。自転車シェアリングと安全な交通手段の取り組みが1960年代に始まったことに驚くと同時に、50年後の今日でもまだ十分でないことを思い知らされる。

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